動物写真を通じて子どもたちに伝えたかったこと

2012年1月、私たちは開拓してきた八王子の里山に
初めて児童養護施設の子どもたち7名を招待しました。
その際、プログラムのひとつとして
里山で撮影した動物写真の紹介を盛り込みました。

 

子どもたちにとってどんなプログラムがいいのか――

正直言うと里山を自分たちの手で切り拓く中で、
大人として感じるところはたくさんありましたが

子どもたちに里山でどんなことを感じてほしいか
十分に考え尽せたわけではありません。
ただ、まずは現時点での私個人として考えを整理しておこうと思います。

 

私にとって、里山について語られるときよく聞く
「自然との共生」という考え方については、いくら分かりやすく言い換えたとしても
子どもに伝えることにどこかお仕着せがましさを感じていました。

だって、里山について本当のところ私はどんなことを知っているのだろうか。
関連しそうな本を読み漁りつつ
里山に6年通ってみたものの未だよく理解できてことばかり。
大体、里山を荒れたまま放置してきたのは
私たち大人たちの作り上げてきた社会の方ではないか。
大人が子どもに対して里山について偉そうに語れることなど本当にあるのだろうか―― 

 

いろいろと考えました末に思い至りましたのは、
この里山に姿を現した動物たちの写真を子どもたちに紹介することでした。 

これなら大人の思い込みの理解ではなく事実そのものが伝えられるのでは、
そして、子どもたちは私の上滑りした言葉なんかより
もっと多くのことを写真から感じとってくれるのでは、と考えたのです。

 

今回紹介した動物写真というのは、
私がこの里山頂上の片隅の立ち木にくくりつけたカメラで撮影したものです。
動物が通るとカメラの赤外線センサーが関知して
自動的にシャッターが落ちる仕組みになっています。

 

仕掛けてから4年ほど経ちまして撮影できた動物たちは全部で9種。
クマ以外の日本の主な動物がこの1ヶ所だけで撮影できたことになります。
代表的なものを紹介しましょう。
  

@タヌキ
この山で一番たくさん写真に写る動物はタヌキです。
タヌキは同じところに糞をする習性がありますので、
糞のたまっているところに仕掛けておけばほぼ確実に撮影できます。
また、タヌキはよく2匹で写っています。
タヌキの夫婦愛はとても強く、死ぬまで一緒に添い遂げるといいます。
 
 

 

Aシカ
撮影された子鹿はやや足に骨すじが浮かび上がりやせ細っていました。
私の植えた菜の花の芽を食べ尽くしてしまったのもこのシカなのかもしれません。
 
 

 

Bアライグマ
アニメ「ラスカル」の可愛いイメージからか、
ペットとして北米より盛んに輸入された時期があります。
ただ、実際には荒い性格で人にはなかなかなつかないため、
手に余った飼い主が無責任に野に放って野生化しました。
タヌキやアナグマといった競合する在来の動物たちを追いやろうとしています。
 
 

 

Cキジ(ヤマドリ)
雄のキジは見事な色と柄の羽根を鎧のようにまとい、
まるで武士のような風格があります。
気の強い性格から、卵を抱えた雌のキジは火事があっても逃げないといわれるほどです。
この写真からもそんな気品を感じ取ることができます。

 
 

Dイノシシ
春になるとうりのような模様でうり坊と呼ばれる子どもとともに
地面に顔を近づけながら木の実やミミズなどの餌を探す姿が写っています。
鋭い牙をもち体長1mを超える大人のイノシシと鉢合わせになったら大変なので
山に登るときは音を立てながら上るようにしています。

 

 Eサル
冬の終わりに親子サルが撮影できました。
都市に暮らす人間の目から見ると何にもなさそうな冬の里山では
一体どんなものを食べて暮らしているのだろうと心配になります。

 

存在を実感することの大切さ

こういった動物たちは私たちが里山に行った時は一切顔をあわせることはありません。
きっと人間の気配を感じて藪かどこかに息を潜めてしまうのでしょう。
せいぜい真新しい糞とか足跡の痕跡をわずかに見せるばかりです。

 

子どもたちには、こうした動物たちというのは絵本や動物園の存在ではなく、
今も大東京の片隅にあるこの場所にたくましく生き抜いているという事実を
現場で写真を見せることで子どもたちに実感してほしかったのです。

 

正直いうと、私にとって「自然との共生」という言葉は
里山と関わるまで意味はなんとなくは分かっても、
それ以上の感情、関心あるいは行動を伴うものではありませんでした。

 

しかし、動物たちの気配の残るこの里山に自分の足で立ってみると、
この言葉の意味の本当の入り口にたちずさんでいるのを実感します。

 

動物たちも、私たちも、今ここに確かに生きています。
今ここでは私たちのあらゆる行動が動物たちに即影響を与えます。
動物たちと私たちはよくも悪くも直接つながっています。
共に生きるというのはつまり、そういうことなのです。

 

今改めて思います。
大切なのは、情報や知識を持つこと以上に、自ら実感することです。

 

とかく、現代都市社会においては形式的な制度や仕組みがあふれ、
情報は誰彼の伝聞と意図の間で錯綜し、知識は無駄に過剰にオーソライズされます。
一方でより肝心なはずの実感はというと伴わなくとも不問とされたままです。
というより、実感など持つよりむしろ感覚を麻痺させるべく
仕向けられているようにさえ感じることがあります。
まるで多くの人々がこの社会の抱える矛盾を本当に実感して
行動を変えでもしたら大変な事態となることを恐れるかのように。

 

この里山の隣の山にはトラックが列をなして激しく行き交い、
都市社会のために土砂を削り出して行きます。
今この光景を目の当たりにするなら、
都市は今も自然の多くの生命によって支えられている事実が実感できます。
しかし現場から離れれば自然とのつながりなど意識にも上らなくなり、
やがて山が完全に削られてしまえば存在さえなかったことになるでしょう。

 

自ら現場に足を運んで実感しますと、
多くの人は良心のレベルで気づいたり、なんとかしたいと考えたりします。
そして勇気ある人は現実をなんとかしようと行動します。

 

ただ、実感がなければ、共感できません。
共感できなければ、他者のことを本当に考えることはできません。
ましてや現実を変える力になどなろうはずもありません。

 

だからこそ、子どもたちにとって実感こそが情報や知識以上に大切と考えるのです。

 

               2012年3月 東京里山開拓団代表・堀崎 茂

 

 

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