東京都BBS研修会にて講演
2014年11月16日、東京都BBS・OBS会より、
現役BBS会員、OB・OG、BBS連盟関係者、東京都保護観察所関係者など
約50名を前に講演する機会をいただきました。
私自身としては学生時代に取り組んでいましたボランティア団体(世田谷区BBS会)の
OBとしてできることがあればと感じていましたのでちょうどいい機会となりました。
ここでは、「ボランティア活動の意味」について話した部分をご紹介します。
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ボランティア活動の本当の意味
1.ボランティアについて感じること
みなさんはボランティアってどんな存在と考えていますか?そして、何のためにボランティア活動をしていますか?
社会課題に無償で取り組む、時間やお金、心に余裕のある人といった感じでしょうか。
いい仲間を作りたい、人の役に立ちたい、自分を磨きたい、就職や進学のためでしょうか。
私自身、学生時代からボランティアをやってきて、たくさんのひとと関わるなかで感じていることがあります。
・ボランティアの本質は、「自発的な精神」
いわゆるボランティア活動だけでなく、これから仕事や家庭のなかでも発揮する機会は誰にでもいつでもとても大切な心構えと感じます。逆に言うと、なんとなく惰性・受身で取り組むボランティア活動はボランティアとは言えないようにも思います。
・どんな目的をもつかは重要
目的の持ち方こそがボランティア活動への関わり方と期間を決めているように感じます。仲間づくりが目的なら仲間ができたら終わり、就職なら就職が決まれば終わり。もし惰性でなく長いことボランティア精神を持ち続けたいと思うなら、常に高い目的を掲げて自分で意識しつづけないといけないように感じています。
・「自分のために動く人」と「他人のために動く人」
人はどんなところで働いていたり取り組んでいたりしたとしても、結局は「自分のために動く人」と「他人のために動く人」に分かれていくように感じています。そして、仕事内容、立場、環境、役割といったものに関係なく、人は最終的には自分のために動く人にはついていかないということも感じています。
2.ボランティアの可能性
そもそもボランティアって何ができるのでしょうか?所詮、余力の範囲なので大したことはできないのでしょうか?私は、専門家や公務員がやろうと思ってもできない、ボランティアだからこそできることがあると思っています。ボランティアの可能性を考える7つの視点をご紹介します。
(1)「同じ高さの目線で」という視点
専門家や公務員ですと、どうしても医師と患者、先生と生徒、支援する側とされる側という立場の違いを乗り越えることができません。それは相手の心を開くという点ではとても大きな障害となります。その点、ボランティアは対象者と同じ高さの目線をできる限り貫くことでその障害を乗り越えることができます。
(2)自ら楽しむ視点
専門家や公務員は仕事として取り組むばかりで、自ら一緒に楽しんで取り組む姿勢が欠けていることが多いと思います。日本では仕事はまじめにやるもので楽しんでやるのは遊びという感覚が強いせいかもしれません。しかし、自ら楽しむことで対象となる人はさらに自らやる気になってくれます。こういった対応はボランティアならではのものです。
(3)長期に続ける視点
専門家や公務員には、異動・転勤・転職などの理由で本当の意味で地域に根ざして長期に関わる人が少ないと感じます。この点、ボランティアは自分次第ですが本気で関わろうと思えばどこまでも長期にかかわり続けることができます。
(4)試行錯誤する視点
専門家や公務員はお金をもらっているがゆえに期限内に成果を出すことが求められます。試行錯誤すること自体がなかなか許されていません。しかし、社会問題が簡単に解決できるようなものでない以上、試行錯誤することは不可欠です。この点、試行錯誤することはボランティアの特権とも言えます。
(5)社会問題を逆手にとる視点
社会問題は様々な側面があり社会に様々な影響を与えています。逆手にとるという視点というのは、例えば、荒れた里山の活用は社会的に価値なしとされている状況だからこそ成り立っているともいえます。現状を逆に利用してやろうというような取組みはボランティアならではの姿勢ともいえます。
(6)専門分野横断の視点
専門家や公務員はどうしても専門分野や組織の縦割りによって専門分野横断で取り組むことはきわめて弱いと感じています。この点、ボランティアは自由です。東京里山開拓団で「環境保全」と「社会福祉」に一石二鳥で同時に取り組んでいますのもまさにこの視点です。
(7)根本的解決の視点
この点は議論の余地があるかもしれませんが、私は専門家や公務員に社会問題の根本的な解決は難しいのではと思っています。多大なお金と労力をつぎ込んでも多くの社会問題がいつまでたっても解決しないのはなぜなのでしょうか。もし根本的な解決がなされたらその領域の当然ながら公的予算はなくなり専門家や公務員は失業してしまいます。根本的な解決というのは、ボランティアも含めそこに依存しなくてすむ立場で志のある人のみが実現しうることと考えています。
社会問題というと、つい根が深すぎて、ボランティアなんかにできることなど限られているように感じてしまいがちです。それでも社会問題対策には盲点があります。専門家でも公務員でも対応できていないから未だに社会問題が存在しているのです。
ボランティアにはボランティアだからこそできることがきっとあります。ボランティアは前述の視点をいつも持ちながら専門家にも公務員にもできなかったことをとことん追求すべきです。ボランティアは、専門家のお手伝いでも、公務員の安価な下請けでもありません。ボランティアは本質的には、通常考えられている以上の存在であるということをいつも自ら認識して取り組むべきと思っています。
2011年11月16日 東京里山開拓団 堀崎 茂
(東京都BBS研修会講演より抜粋)