子どもたちが教えてくれたこと

 

児童養護施設の子どもたちとの里山開拓も3年間続き、近くいよいよ20回目を迎えます。

毎回子ども・大人合計で15から20名くらいの小さな小さな活動ですが、

開拓作業と信頼関係の積み重ねで、家庭でのつながりを失った

のべ100名以上のこどもたちに大自然との接点と

楽しみ、心地よさ、居場所を提供できるようになったことにやりがいを感じています。

 

ただ、それは子どもたちに貢献しているという一方的な満足感にとどまりません。

特に2015年1月に行った第19回の里山開拓で行った書初め企画からは、

私自身、子どもたちからたくさんのことを教えてもらいました。

 

そのときの里山活用企画は、正月なので里山で書初めをするというものでした。

といっても、山に持ち込んだのは墨汁と紙だけ。

つまり、筆は里山の恵みを使って工夫して手作りし、

里山で大地と大空に包まれながら今年への思いを文字にしようという企画です。

 

子ども(主に小学生)と大人がペアになって、まずは筆作りからです。

ここでは参考例を少し見せる以外に、作り方を説明して進めるというやり方はしていません。

ああでもない、こうでもないと子どもと大人が一緒に考えること自体に価値があると思っているからです。

 

適当な枝を探して切ったり、草を束ねてつなげたり、先をほどいたロープをつけたりと、

10組がそれぞれ世界に一つしかない筆を作り上げます。

私はたまたま最年少の年中の息子とペアになり、

指ほどの太さのツタを伐って繊維を丁寧にほどいて筆を作りました。

 

 

そして、いよいよ書初めです。墨汁をバケツに入れて、ベニヤ板を地面に敷き、

半紙を置いて、石を文鎮代わりにして押さえます。

 

子どもたちは、ためらうことなくすいすいと書初めを書いていきます。

世界に一つしかない手作りの筆は、世界に二つとない芸術的な文字を生み出します。

 

むしろ、ためらっているのは大人たちのほうでした。

ずっと考えていて「なにかこう」なんて書いている人もいたくらいです。

私自身も「羊」くらいしか思い浮かばず、細長い紙を埋めるために、

「羊らしく」なんてちょっと無理に書いたくらいです。

 

子どもたちは違いました。

 

「美しい空」と書いた子がいました。

見上げると、くすむところひとつない快晴の青空には、

ひこうき雲が天頂から地平線まで筆で描いたようにまっすぐ伸びていました。

 

「夢の実現」というのもありました。

書いたのは、この里山でハンモックに包まれるのが大好きな小学校6年生の女の子。

どんな夢を持っているのか聞いたことはないのですが、

いつもチャレンジ精神旺盛な彼女らしい言葉でした。

 

「はるよこい」というのもありました。

書いたのはいつもおとなしくしている中2の女の子です。

背の高い霜柱が立ち並ぶほど朝は寒さが厳しかったのですが、

すっかり葉が落ちて枝ばかりの木々の間から春のような暖かな日差しがありました。

その子ばかりでなく、里山の生きものも本当に春が待ち遠しく感じているはずです。

いいね~とほめると、女の子はすっかり調子が乗って

「なつよこい」「あきよこい」なんて続けて書いていました。

 

子どもには心に浮かんだことをそのまま文字にできる素直さがあります。

ところが、たいていの大人には、書く言葉が心に浮かんでこないのです。

他からどう見られるか気にして説明する理屈の方から考えて時間ばかり過ぎていきます。

 

その違いは書初めを見れば一目瞭然です。

子どもの文字にためらいのない勢いがあります。

それは偽りのない本音が書かれてるのを感じます。

大人の文字はどこか整いすぎていたり懲りすぎたりしていて

自分の本心なのかそうでないのかよく分からないのです。

 

わたしにとって何より心に響いたのは、こんな書初めでした。

 

「美しく生きよう」

 

 

書いたのは小学校二年生で児童養護施設の子どもたちのなかでは一番小さく、

すぐ会員のひざに飛び乗ってくる甘えん坊の女の子でした。

 

名前の方が真ん中に大きく書いてあって少し笑えましたが、

それは自分自身の強い意志を示しているかのようでもありました。

 

里山開拓企画をはじめから一緒に立ち上げて児童養護施設の先生はこう言われます。

「子どもたちは多分想像もつかないくらいいろんな経験をしてきているんですよ」

 

児童養護施設とは、何らかの事情があって親と一緒に暮らすことができない

子どもたちが共同で暮らす児童福祉施設です。

かつては貧困な家庭や身寄りのない子も多かったようですが、

いまは虐待や育児放棄などが原因の多くを占めていて、

全国で約600施設に約3万人の子どもたちが暮らしています。

 

里山で一緒に開拓しているときは本当にごく普通のどこにもいそうな子どもに見えます。

むしろ、みんな共同生活で仲がいい分、一層明るく楽しんでくれるので、

心の暗さなど一切感じられません。

 

ただ、子どもたちは18歳になると施設から出て独り立ちしないといけない環境にあります。

高校を卒業すると親の力も借りることなく自分の力で生きていかねばならないのです。

それは施設にいれば小さな子どもでも先輩たちを見ることで分かる厳しい現実です。

 

私はこう思うのです。

本当は子どもたちはこれまでの信じられないくらいの苦労に加えて、

この先も尽きることない不安に包まれているはずです。

にもかかわらず、「美しく生きよう」とは!

 

こんなに稚拙なようで力強い文字は私は見たことがありませんでした。

そこにはつき抜けるような意志を感じました。

しかもそんな力にあふれた文字を、

子どもたちはためらいなくこころから楽しそうにすらすら書いているのです!

虚飾あふれる現代都市社会のひずみのなかで抑圧されてきた子どもたちだからこそ、

虚飾のないありのままでいられる里山では偽りのない本音の言葉を

文字にできるのではないでしょうか。

 

私たちは大人というだけで子どもたちに何か教える立場からの言葉ばかり

口にしている気がします。

 

しかし実際のところ、大人たちが作り上げてきた社会は今、

子どもたちに何を残してきたのでしょうか。

お金がないと居場所もない都市空間、

幼少から老人まで何かとせかされる時間、

家族ですら希薄になってしまった人間関係、

資源も他人もいかに使い捨てるかばかりの社会構造、

そして大人たちがいいように浪費して残された莫大な借金・・・。

 

子どもたちの本音の言葉と比べて、大人たちの言葉というのは

なんと薄っぺらで軽々しいことでしょう。

 

私は子どもたちの本音の言葉を目の当たりにして、

恵まれた環境にあるのに誰かのために生かすことなくためらい、

現代都市社会の矛盾に目をつぶりむしろいいように正当化して、

自分だけいい立場に立つことに汲々とするばかりの自分が本当に恥ずかしくなりました。

これからは少なくとも里山で子どもたちと話すときは、

うそ偽りのない言葉を本音で語りたいと強く思いました。

 

今、私たちの里山開拓は新たな段階に入りつつあるのを感じます。

もはや、単に子どもに自然体験させる活動ではありません。

子どもも大人も楽しみながら自然と深くつながる可能性を感じ、

お互いに本音で語りながら生きるということの意味を学び合い、

そこから日常生活のあり方を根本的に見直していく、

そんな活動になりつつあるのを実感しているのです。

 

                 2015年2月 東京里山開拓団・堀崎茂

 



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