NPO法人 東京里山開拓団

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

目指すところイメージ

 目指すところ>代表の思い>手作りへのこだわり(2015年1月)

私たちは今、児童養護施設の子どもたちとともに里山の木の上に展望台を手作りしています。その木は根元から4本に分かれた幹が伸びているので、それを柱代わりとした3階建て構造をしています。4本に分かれているのは、きっと50年位前、里山が日々の生活のために生かされていたころ、炭作りで伐られた切り株から芽が出て大きくなったものと想像しています。場所は頂上に近くに伐り拓いた広場の脇にあって、他の木々の隙間から周りの山並みや裾野の建物が見渡すことができます。この山にかかわり始めたときからずっと目をつけてきたのです。
 

展望台製作にあたり、できる限り現地で間伐した木をつかっています。下界から持ち込んだのは金具と床のベニヤ板くらいです。間伐した木は曲がっていたり丁度よい大きさがなく、思っていた通りに行かないことの方が多いのですが、その場その時その素材で工夫して臨機応変に作り上げます。はしごは比較的簡単で、こどもたちと一緒に間伐するところから完成までたった2時間ほどでできました。

  

子どもは高いところが本当に大好きです。小学校6年生の女の子はこの3階に腹ばいになって両手を外に広げました。気分は?ときくと、「いい気分~。鳥になったみたい。」と言いました。

  

私たちは、手作り、しかもそこにある自然の恵みの活用にこだわりを持っています。展望台だけでなく、ベンチも、食器も、ブランコも、シーソーもみな現地調達の自然の恵みで手作りしたものです。食事も薪集めからかまど作り、火起こし、調理まで自分たちの手で行います。現地の素材を使うメリットは、安上がりであること、持ち込む手間がないこともありますが、実はもっと大事なことがあります。

  

森の哲学者ヘンリー・D・ソローは大自然のなかに手作りした家での自給自足の暮らしと思索の日々を描いた名著『森の生活』のなかでこんなことを書いています。

 
 もし人間が自分の住宅を造り、質素に、かつ誠意をもって自分と家族の食を満たしてやるならば、

 誰だって詩心を呼びさまし、あまねく歌を口ずさむのではないだろうか?

 鳥たちが親しい仲になって愛の歌を交わすように。

 ところが、何と情けない話ではないか!われわれの日常生活は

 むくどりやかっこうと同じようなことをしているのだ。

 この鳥たちは他の鳥が作った巣に卵を産みつけ、ガーガーと騒ぎたてたり、

 調子はずれのさえずり声をたてるので、旅人を慰めることはない。

 われわれは家を建てる喜びを、いつまでも大工にまかせておいてよいのだろうか?

 
そう、ソローのいう通り、自分で作ること、そして自分で作ったものを自分で使うこと自体がこの上ない喜びなのです。

「いやいや、手先の器用な人ならともかく、そうでない普通の人にとってはお金で買った方がはるかに手間なくプロのいいものが手に入るはず」と考えられる方も多分いらっしゃるでしょう。

反論するわけではないのですが、そういった見方はモノのレベルでの比較、つまり「手作りのモノ」と「購入したモノ」の比較に目が囚われているのではと思います。わたしが見ているのはモノそのものにとどまらない「モノが作られて使われる一連の過程の体験」の方です。それは、現地で出来栄えを自ら想像し、現地で調達できる自然素材をどう生かして作るかを考え、設計図を書きながら仲間と相談し、実際に試行錯誤しながら作り上げていって、完成したら仲間とともに達成感を喜び合い、そして使用してみて愛着がさらに沸いてくるといった体験です。こんな体験は他人が作ってお金を払って購入しただけのモノからは決して得られません。

さらに言うなら自分自身の自己満足というだけでなく、今の世の中で取り組むべき社会的価値さえあると考えています。

現代都市社会は資本が付加価値の源泉と考える資本主義、巨大資本を中心に高度に分業化された経済構造、人口や資源を飲み込む巨大都市と巨大な統治機構を中心に高度に階層化した社会構造などを特徴としています。ただ、一見豊かさと堅牢さを誇る現代都市社会も不安定さ、二極化、不安、疲弊感、喪失感といったひずみがいたるところにあわられて複雑すぎる社会問題を引き起こしています。

そのなかでは一個人の存在などあまりにもちっぽけで翻弄されるばかりです。現代都市社会の弊害はしばしば、特に最も弱い立場にある人に牙をむきます。一見強い立場にあって便利で豊かな世界を享受しているように見える人も、実はそんな社会に依存するしかない状況に置かれて、一個人として生き抜く力は弱まるばかりです。ただ、大津波のような社会構造の変化があったとしても、わたしたちはその荒波を泳ぎきって生き抜いていかねばなりません。そのためには、なによりまず自分の現状を知ること、つまり周りに流されて自分を見失うことなく、自分や周り、社会、自然とのつながりに気づくことからはじめる必要があると感じます。 

わたしにとっては里山で手作りをすることが、自分を見失わないためのきっかけ、自分なりに生き抜くことを考えるきっかけであり、そのための貴重な時間と機会を与えてくれるような気がしています。それは、鳥のように高みから眺めてみるなら、東京という世界最大の都市圏にあって自分と自然と社会のつながりを 考え直す思索の実践でもあるのです。

 


                 2015年1月 東京里山開拓団 堀崎 茂

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