NPO法人 東京里山開拓団

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

目指すところイメージ

 目指すところ>代表の思い>『森の思想』を読んで(2018年9月)

なぜ里山には人の心を解放する力があるのか

以前東京里山開拓団のWEBサイトに「里山には心を解放するチカラがある」と書いたことがあります。10年余りでおそらく百数十回里山に通ってみて今もその実感は深まるばかりなのですが、その一方でますますよく分からなくなったことがあります。それは「なぜ里山には人の心を解放する力があるのか」「どうして里山に入ると元気が取り戻せるのか」という理由についてでした。

自然による心理への影響についてはたくさんの研究があります。例えば、木の発する香りや葉の緑色、落ち葉のなかを歩く音には精神を安定させる効果があってそれらは脳波検査の結果から確認できるといったものです。しかし、そうした説明は自然からのインプットに対する人の心へのアウトプットの関係の表層をとらえたにすぎず、人の心がどのような仕組みで動いているのかという核心部分はブラックボックスのなかに閉じ込めらたままと思えるのです。私が本当に知りたかったのは、ブラックボックスのふたを開けた中身、つまり里山が人の心に働きかける仕掛けはどうなっているのかということです。

私がどうしてこんな理屈にこだわっているのかというと、もしこのブラックボックスの仕組みが明確に説明できれば、私たち東京里山開拓団の活動が目指しているところ、つまり、現代都市社会に生きる私たちにとって里山の最も高い利用価値が高いと感じている心への効果についてより多くの人と共有し、理解を深めることができるようになると思うからです。そして、ここからは妄想の領域かもしれませんが、里山とは対極にある現代都市社会が人々の心を衰弱させてしまう仕組みについても説明できるようになるでしょうし、さらに先には、最先端の現代思想や現代科学でもたどり着けていない大いなる疑問、「生命とは何だろう」という問いの答えの糸口がそこにあるのではという直感がするからでもあります。

まずは里山に入ると人の心にどんな働きかけがあるのか、私なりに描写してみます。

当初私が里山に通い始めた頃は、まずはこの里山を理解しようとして、目に留まる生物をとにかく調べようとしていました。図鑑を片手に数十種類の草木、虫、鳥、自動撮影カメラで十種類ほどの動物が確認できました。情報をつなぎ合わせていくと競争、共存、多様性といった側面もおぼろげに見えてきます。ただそれは外形に基づいて分類方法や誰か他の人が考察した関係性に当てはめて再確認したにすぎませんでした。

足しげく通うようになってからの私の心の中はこんな感じです。里山に足を踏み入れていくと、まず空気が外とはまるでかわってひんやりと湿っているのを感じ、小さな鳥のさえずりや物音がする度にその空間の奥深さと静寂を感じます。いつもとらわれている自意識などいつのまにかその中に吸い込まれて消えてなくなっていきます。ところが薄暗い藪の中に道を伐り拓こうとするとき、未知への不安とか恐怖の感情が再び自意識の座を奪おうとします。私は意識的にその感情を抑えつつ、闇の中にいち早く他者の気配を感じとろうと全身の感覚センサーを集中させながら進みます。やがて視界が開けて作業がひと段落して疲れた体を休ませるときや素朴な焚火料理に体と心が満たされたときには、私自身も森という大きな存在に自己の運命を依存しているアリやキノコと変わらない小さな存在であるという謙虚な自意識、森があるから個々の生き物が存在し個々の生き物がいるから森が存在するという一体感、大きな存在につながっていることから生まれる安堵感に包まれていくのです。もっとまとめていうなら、「今ここに生きている実感」に包まれていく感じです。


南方と中沢の思想

私が求めていたのは森の中に入るとそんな実感が生じる仕組みについて納得のいく説明だったのです。里山にひたすら通ってこの実感を確かめながら、その答えを求めて、一般書から生物学、心理学、医学、民俗学、宗教などの一般書から専門書まで様々な本を漁り読みました。ただ、なかなか私の実感にあってしっくり理解できる説明に出会うことができませんでした。やはり心という目に見えない存在の仕組みなど説明できないのかなとあきらめかけていたところ、最近になってやっとそれに肉薄する本に出会うことができました。

それは、明治から戦前までの時代を生き那智の森に通って粘菌研究や民俗学、自然保護に取り組んだ知の巨人・南方熊楠の思想を紹介しつつ、宗教学者・中沢新一がその現代的意義を解明しようと試みた『森の思想』(河出書房新社)という本です。

正直に言うと、里山に関心を持ち始めた10数年前、タイトルにひかれて購入して読みはじめたのですが、何のことを言っているのかチンプンカンプンで本棚に積んだままになっていたのです。それが今になって、里山にひたすら通い続けた体験と時間が私の脳みそを熟成させたでしょうか、その言葉の意味がしっくりと理解できるようになってきたようです。南方熊楠の思想や中沢新一の解釈はまさに私の抱いた疑問に答えるものであり、さらなる深みにまで連れて行ってくれるものでした。

1867年に和歌山に生まれた南方熊楠は、幼少期から人並外れた記憶力をもち、古今東西の言語を自由に操って膨大な文献を読み込み、東大を中退して単身渡英してからは大英博物館に通って博物学・民俗学・人類学・考古学・宗教学などの研究に没頭して科学雑誌『ネイチャー』に多くの論文を発表するなど人間の叡智の新たな体系を作り上げようとした在野の研究者です。しかし大英博物館での人種差別事件をきっかけに英国を離れてからは那智の深い森に入り込んで粘菌研究に没頭し昭和天皇にも進講する一方で、政府の神社合祀に反対して鎮守の森を守る活動を行った自然保護活動の先駆者でもあります。

南方はなぜ彼の幅広い知見の中で粘菌を研究対象に選んで没頭したのでしょうか。中沢はこう指摘しています。

生物が生きているとはどういう状態のことを指しているのか。また生物が死んでいるとは、どのような現実を指しているのか。人々がふつう、生や死としてとらえている現象は、はたして意味をもつことなのか、それとも、より本質的な現象の二次的な射影にすぎないのではないだろうか。・・・(中略)。こうした難問を熊楠は本気で考え抜こうとした。(P49)

近代の科学的な生物学は、生物をインプットとアウトプットの関係として、とらえようとしてきた。・・・(中略)。生物が自己の境界の外につくりだす世界もまた、つねに縁によって、動き、変化していることになる。いずれにしても、因果による推論は生命にとっては不完全なものでしかない。・・・(中略)。生物が発生した瞬間から、この意志の活動ははじまり、アーラヤ識の土台の上に、それぞれの生命システムにふさわしい「幻影」の世界がつくりだされてくるようになる。・・・(中略)。生命は自分がマンダラの本質をもっていることを知ることによって、落ち着きとやすらぎをみいだすことができる。(P75)

南方熊楠は、このようなマンダラを、粘菌の活動の中にみいだしていたのである。めぐまれた環境が訪れたことを察知した粘菌は、胞子を食い破り、アメーバ状の動物となって、外にあらわれ出る。粘菌の生命活動の土壌である、彼のアーラヤ識に内蔵されていた、自己創出への意志が、アメーバの中でむくむくと起き上がってくる。粘菌は自他の境界をつくりだし、彼の「外部」から、バクテリアを捕獲し、自分の体内に取り入れて、食べ殺し、そうやって自己を維持していこうと欲望するのだ。(P78)

粘菌にあっては、マンダラが活発に活動すればするほど、それは生物の内部空間の中に深く隠されていき、外部に現れる表現が美しく、明確なものになればなるほど、生命システムの本質は、静止に向かおうとしている。なんと密教的な生物ではないか。・・・(中略)。マンダラはとるに足らない「痰」のような姿をまとって、この世にあらわれ、生と死をめぐる凡庸な常識にとらわれて生きる生物に、警告を与えようとしているのだ。(P80)


それでは、南方が大英博物館という当時の知の最前線の場を離れてから那智の深い森に入り込んで何を見つけたのでしょうか。

森は、その中に踏み込んだ人間に、容易に観察者の立場に立つことを、許さない。森の全体を観察しようと思ったら、小高い山にでも登り、木々の高さをこえでて、あたり一面を眺望できる場所に立つことをしなければならないだろう。・・・(中略)。ここから彼は、森の一般理論などを、考え出すかもしれない。しかし、そのとき、もはや森の中にいない観察者は、小さな谷の襞や、山の上からは見分けることもできないほどちっぽけな小川の中で起こっている、不思議に満ちた世界を知ることができなくなっている。・・・(中略)。

この森の中で、どこから観察をはじめるか。森の中からでは、鳥瞰はできない。したがって、森全体を一つの像としてとらえることは、放棄しなければならない。それに彼が動けば、動物はかすかな足音を立てて去り、足の下では、未知の生物が、彼によって踏みしだかれていく。ここでは、観察者は自分もまた、森の一員として、大きな全体の中に、深く巻き込まれてしまっていることに、気づかざるを得なくなるのだ。
そのときである。彼の中に何かの決定的な変化が起こるのだ。観察の行為が、彼の中で意味を変化させていく。彼は森を内側から生き、呼吸するようになる。彼は周囲にひろがる生命の世界を、自分から分離してしまうことができないことを、知るようになる。ほの暗い森の奥にどんな世界が秘められているか、彼には知ることもできないが、その闇の中に隠されてあるものもまた森であり、彼自身もまた、森の一部なのだから、それはもはや分離された外部などではなく、森の奥に隠されたものと彼の生命は、いまやひとつながりになっていることが深く自覚されるようになる。このとき、森は自分の本質を、観察者の立場を放棄した彼の前に、おもむろに開くのだ。・・・(中略)。三年余の長きにわたって、那智の森の中に生きた南方熊楠は、そのようにして森の秘儀に立ち入ることを、許された。(P81)

森に踏み込み、森を深く生きることができるようになったとき、人はそこに、生命にとって本質的である「何ものか」が、立ちあらわれてくるのを、全身で知る。森の深さが増せば増すほど、今度は逆に、その奥のほうから、明るい何かが、自らを開きながら、こちらに向かってくるのがわかるのだ。それを自然(ピュシス)の玄旨と呼んでもいいし、森の秘密儀と言ってもいい。(P88)

森を内側から観察してみる

私は森から自分へのインプットが自分の心を変えるアウトプットをもたらすブラックボックスの仕組みを知りたかったのですが、中沢の指摘するところは、それが知りたかったら自ら森の中に深く入り込んで内側から観察することがどうしても必要というのです。

森の内側からの観察についてふと思い出したことがあります。

それは立ち止まるとと体の全身、心底から体温が奪われてしまいそうな底冷えのする2月の日曜に一人で頂上付近を手作業で開拓していた時のことです。木々から葉はすっかり落ちてしまい生きているものは私以外に誰もいないような侘しさがありました。どんよりと鈍い鉛色の雲からはついに雪が降り始めました。作業の手を止めると、一片の雪がカサと落ちる音がはっきり響いたのです。やがてカサ、カサ、カサとその音は次々に私に迫ってきます。私は雪の降る音以外には完全に無音な世界に立ちつくしていました。一息つくと、私の吐く息はオコジョの真っ白い尻尾のごとく長く長く伸びていきます。そのとき、私は、息をひそめているすべての存在一つ一つに何か大切なものが雪の形で送り届けられているように見えました。そして、私が息を吐いているのではなく森が私から息を吸っていて、私が息を吸っているのではなくて森が私に息を吐いているのではないかと感じるようになり、やがて森と私と境目がどんどん消えて呼吸を通じて直接つながっているのを感じたのです。通うほどに森をだんだん身近に感じるようになっていましたが、この時は身近というより森と私が一体のものとして存在していたのです。

そんな里山に通い続けて感じるようになった森との一体感こそが、この本の言わんとするところを理解するためには必要だったという訳です。

この感覚はみなさんの普通の感覚からすると理解しがたいものに思われるかもしれません。現代都市社会の価値観の中では、働くことこそが生産的で、創造的で付加価値の源泉であり、そして稼いだお金を消費することもお客様は神様といわれるほどの美徳であるとされています。そしてそれ以外の活動は、付随的、非生産的、現実逃避的で、無価値なことと片づけられがちです。森に入るなんてことなど間違いなく後者に位置付けられることでしょう。

ところが森の内側に入り込んで外の現代都市社会を見るなら、人間が働いたり消費したりすることで行われる自然資源への付加価値付与やその利用など、自然による無限の創造性や調和力に比べたら大して生産的でも創造的でも知的でもないように見えてきます。それどことかまるで自然の恵みを大量に略奪して無駄な加工や飾りを施し短期間のうちに大量に捨て去る愚者のふるまいでさえあります。ここからは普段の当たり前に感じている世界が完全に逆転して見えてくるのです。

また、森の中に入り込んで観察を続けるなら、自分が本当は何も持っておらず、何も知らず、何もできないことにも気づかされます。これは長年現代都市社会の中で塗り固められてきた自我や自尊心からするととても受け入れがたいことなのですが、それはまぎれもなく厳然たる事実です。時間をかけて自分自身に対して謙虚で正直になりそれを避けずに受け入れられるようになった時、肩に入っていた余計な力がすっと抜け五感を通じて周りとつながりはじめます。そしてとらわれていた自我の固定観念から解放されて世界全体の一部であることを受け入れられるようになると、心の深層に眠っていた生きんとする力がむくむくと起き上がってくるのです。森の中で一見大したことは何もしていないように思われるこのときこそ、実は心は解放されて周りと一体になるまでつながって自分本来の生きんとする力が最も高まっているのを感じるのです。それは一種の瞑想的な状態と言えるかもしれません。

もしかしたら、都会を離れて森に入るときに心の中で起きていているのは、自分が人間でもなく動物でさえなかったはるか昔の姿である粘菌としての特性が蘇ってくるのではとさえ思いました。それは、都会で暮らしている人間は、いくらバリバリ活動しているように見えても実は胞子植物の姿をした粘菌のように生命力は最小限しか機能させずに耐えている状態にあり、森の中に深く入り込むと、「とるに足らない痰」の姿を取り戻した粘菌のように、私たちも最も生命力あふれる本来の姿を取り戻すという妄想です。


森の価値をさらに生かした活動へ

さらに、中沢は、南方がなぜ鎮守の森を守ろうとしたのかという理由に迫りながらこう指摘します。

森が彼らの宗教だ。神社に森があるのではなく、古くは、森こそが神社だったと言われるのは、そのためなのである。この感覚は、日本人の中に一貫して流れている。そのために、神社の森や自然林に入って、そこにたたずむことのできた人の多くが、解き放たれた、自由の感情を覚えることになるのだ。人間の世界でごちゃごちゃと混乱した感情と思考が、森の中に踏み込んだとたん、すっと雲が晴れていくように、浄化されていくのがわかる。・・・日本人はそのような森を聖域として護ることによって、真性に出会える場所を、手つかずの空間として、この世の中に残しておこうとしてきたのである。(P93)

この指摘はなるほどとすぐ腑に落ちました。一見大したものは何もないように見える森に、信仰の対象という至高の価値を与えていた私たちの祖先は一体何を見出していたのか?という疑問の答えもここにあるように思えました。それはかつて学校教科書の縄文時代のページにあったような圧倒的な自然の驚異の中で何もできない弱い人間はただ祈るしかなかったという認識イメージとはまるで異なっています。ここから類推すると、かつては全国各地の市井の人々が伝達手段も教育制度も不十分な中にあっても自らたどり着いていたことが想像できます。その場が「森」だったのです。そして直感的、経験的に森のもつ本当の価値を理解して森に通い、普段の思考や感情といった心の表層にあるものを捨て去って自然を受け入れ一体となることによってたくましく生きる力を取り戻していたのでしょう。

今、日本の森の多くは人間の欲望にさらされて戦時中にははげ山となり戦後は植林されたまま長年放置され今も荒れ果てたままになっています。海外の安い木材に押されて従業員も高齢化し林業が成り立たず、ゴルフ場や住宅の開発のニーズも消えて、今や固定資産税さえ負担になって登記もされず放置され、所有者不明や外国人による買い占め、野生動物の被害が社会問題にさえなっています。

そしてもっとよくないのは、私も含めて現代都市社会に暮らす人々は自分とのかかわりについてはしばしば思考を停止してしまうことです――私たちにとって不可欠な食事は無駄に多くの生命を浪費していること、社会に不可欠な建物や道路も山を削って大量の土砂を運び入れることでできていること、私たちの現代都市社会そのものがひずみを生み社会的弱者に押し付けていることなんて、みんなが本気で考えるようになったら今の経済や社会、そして自らの存在の根底を覆してしまいかねないのでとりあえずみんなで考えないことにしようという暗黙のコンセンサスがあるかのようです。

里山はいいねなどと言われることは増えてきましたが、実際には日常的に通うような人はまだまだ少数派です(環境先進国のドイツでは週末森に通う人がかなりの割合を占めていると聞きます)。当時科学の最高峰だったロンドンから那智の深い森に拠点を移して活動をした南方熊楠のように森のもつ本質的な価値を理解して日常的に森に入り込む思想家や科学者などまずいません。

そんな現状を憂えるように中沢はこう主張しています。

ここにあるとき、人は落ちつきと安心を感じることができる。それは、自分が生命を生かしているある根源的なものに触れている、という感覚を持つことができるからだ。その根源的なものは、母親のからだと同じように、彼に包み込まれている感覚をあたえる。自分が大地に所属しているかのような、土着の感覚であり、また人の世を超えた何ものかによって愛されている、という不思議な親しみの感情がわいてくるのだ。(P109)

その社会の中に生きている人間が本質を失わず、豊かな仕事と作品をつくりだすことのできるような「根拠と地盤」に繰り返し触れることができることこそ、来たるべき共同性のよりどころをなるものであり、そのためには、人間は「来たるべき土着性」をもたなければならないのである。そのような土着性をもった、実存のテリトリーを出発点にしたとき、人間ははじめて落ちつきと優雅さをもった、社会をつくりだすことが可能になるだろう。近代の「混雑錯操せる」、本質とのつながりを失って、人間関係が貨幣的な原理で媒介されていく社会に対する批判は、ここからくりかえし出発しなければならない。(P127)

私たちの活動は、世界一の巨大都市圏である東京の片隅で荒れ果てたままになっていた山林にて、虐待や育児放棄、収入不足など様々な事情で家庭という心の支えを失って共同生活をする児童養護施設の子どもたちとともに伐り拓き自然の恵みを活用して心のふるさとを作り上げようとするものです。そんな活動に、他にもたくさんの魅惑に囲まれているはずの大都会の子どもたちがどんどん自らはまっていく理由はまさにここにあると思うのです。私たちはもっと森の本質を理解して、自分たちの生きるための目的に従って里山を伐り拓くことが同時に里山に新たな息吹を吹き込むことにつながる活動にしていきたいですし、まだ不十分ではありますが少しずつそんな活動になりつつある手ごたえを感じています。

私たちの活動は、南方熊楠や中沢新一の思想のある種の実験といえるかもしれません。荒れ果てた山林に毎月通って自ら里山に変え、そしてふるさとをになるまで泥臭くかかわることで、失われてしまった実存のテリトリーを取り戻すことが本当に可能なのかという実験です。それは「森に深く入り込む」という、いまは現代科学や現代思想の最先端をいく一部の人だけがその本質的価値を認識する方法、そしてかつては多くのごく普通に暮らす市井の日本人が経験的に理解して日常的に行っていた方法によって、人は本当に生きる力を取り戻すことができるかどうかという人体実験でもあり、よりどころを失いつつある現代都市社会の課題克服に本当に貢献することができるかどうかという社会実験でもあるのです。

2018年9月30日

東京里山開拓団 代表 堀崎 茂 

NPO法人 東京里山開拓団
inserted by FC2 system