NPO法人 東京里山開拓団

東京の荒れた山林や空き家を児童養護施設の子どもたちとともに再生しふるさとを自ら創り上げるボランティア団体です

     

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 目指すところ>代表の思い>さとごろりんへの緊急避難(2022年7月)

さとごろりんへの緊急避難

2022年6月15日の夕方、連携している児童養護施設の職員から急なご相談で恐縮ですが、と電話がありました。

小学6年の男の子が暴れて施設内で一緒に過ごすことが難しく、「さとごろりん」をしばらく利用させてもらえないかとの相談でした。

「さとごろりん」とは、東京都あきる野市の里山のふもとにあった築数十年の木造平屋建てのボロ家をDIYでリニューアルし、2021年にオープンした児童養護施設のための里山付き別荘のことです。一刻を争うような口調に緊急性を感じすぐ調整して、翌6月16日から7月1日まで、すでに予約の入っていた2日間を除いてずっと利用いただくことになりました。

翌日夜、私は立ち合って利用方法を伝えるためにさとごろりんに向かいました。大広間にはすでに電気がついていて、初めてお会いする男性職員の方とともに少年の姿がありました。いまは不登校中という少年はここに来る途中で買ったと思われるファーストフードをちょっと影のある固い表情で食べていました。鈍感な私にもなんとなく状況を察することができて、一通り設備やその使い方を説明して差し入れを渡して早めにその場を去ることにしました。

でも、少年はすぐにさとごろりんにはずいぶんなじんでくれたようです。

職員の方によると、ハンモックに揺られながら里山文庫の好きな本を読んだり、端材で工作したり、無人販売の無農薬野菜でバーベキューをしたり、目の前の小川で昼は魚とり・夜は蛍狩りをしたり、真っ赤に空を染める夕日を眺めたりして、大自然の中でゆったりとした時間を過ごすなかで児童の心はずいぶん安定してきたとのことでした。滞在最終日には、少年は「もう今日で帰るの?」と言っていたそうです。あとで施設長から深い感謝のお言葉もいただきました。

後日掃除にいくと、そこかしこに少年がさとごろりんを満喫してくれた形跡がありました。里山文庫で横積みに置いてあった本を整理しなおしながら、どんな本に関心を持っていたのかを想像しました。黒板壁にはアニメの主人公のような顔が描いてありました。元気と自信にあふれるその顔は少年自身が心に抱いた自画像のようにも思えました。画帳には「アブラハヤ」と書かれた魚の絵が描いてありました。小川で捕まえた魚を生き物図鑑で調べたり地元の方に教えてもらったりしていたそうです。端材置き場には形の違うたくさんの舟が作ってありました。少年がここでどんなふうに過ごしていたのか想像しながらの掃除というのは、私にとって本当に楽しい作業でした。これまでで一番楽しい掃除だったかもしれません。


炎天下に出てみる

午前中しっかり掃除して一休みしようとしたとき、ふと頭をよぎったことがありました。

その日も一週間前から続く40度近い猛暑だったのですが、その炎天下の外に出て休みたくなったのです。

私は庭先にたらいを出して水を張って足をつけながらアイスにかじりつきました。頭上から襲い掛かる暑さに対して、足先と口の中からの冷たさが戦いを挑んで打ち勝ったような爽快感があります。

食べ終わったら、目の前に小川に向かい草履のまま入って、足首ほどのふかさの浅瀬をずんずんと進んでいきます。ゴジラのように一足進めるごとに小魚が慌てて逃げまどうのも、足に触れる水の冷たさもすべてが爽快です。

そのとき、ふと、この爽快感はかつて確かに感じたことがあると思えたのです。しばらくして思い出したのは、私が小学生の夏休みに毎年のように通っていた母の実家のある岡山の山間部の清流の光景でした。暑い日差しのもと、透き通った小川に身を浮かべてシュノーケルをつけモリを片手に小魚をずっと追いかけていた体験です。

テレビは「殺人的な日差しにご注意を」なんてあおるように言っていましたが、ここでは日差しを見上げることが苦痛などころか爽快な気分にさせてくれるのです。中年オヤジの常識や思い込み、義務感などで何層にも塗り固められた心の壁はもろくも崩れ去り、下層にあった少年時代と同じ感性でいられるありのままの自分を見つけ出すことができたのが爽快だったのかもしれません。そして、おおよそ世間の誰もにとっても苦痛としか思えない炎天下を真逆に受け止められるありのままの自分に出会えたことが爽快だったのかもしれません。


心豊かに生きていくためのヒント

私は長年里山通いを続ける中で、里山での体験には、単なる非日常体験としての楽しさにとどまらず、日常生活を心豊かに生きていくためのヒントがあると考えるようになりました。それはこんな気づきがあったからです。

私たちが里山でやっていることはいったいどんな意味があるのでしょうか?

里山は非日常的で特別な場所ではありますが、やっていることそのものは 歩く/作業する/掃除する/作る/食う/便をする/休む/遊ぶ/おしゃべりするといったごくありふれたことです。つまり「生きること」そのものです。

でも、そんなことが本当に究極的に楽しく感じられるのはなぜでしょうか?

里山での活動の本質は「生きること」なので、やっていることが特別な訳ではありません。にもかかわらず、究極的に楽しく感じられる真の理由は、「生きることを心から楽しんでいるありのままの自分に出会えるから」と思うのです。普段の日常生活では、自分や環境を変えようと時間に追われながらあくせく動いてみても大した意味や価値なんか見いだせなかったのに、ここでは何も変えなくともありのままいるだけで、生きることが心から楽しいと思える自分がいることに気づけるのです。

それでは、なぜ誰もがそう実感できるのでしょうか?

それは、「元々誰でも生きることを楽しむ力が備わっているから」ではないでしょうか。

心に深いトラウマを抱えた子どもも、普通に都会で日常生活を送っている大人も、誰もがみなそんな力を元々持っているからこそ、何かを教わろうとか変えようなんてしてしなくても、みんなここでやっていることが究極的に楽しく感じられるのです。そもそも、生きることを楽しむ力というのは外部から何か教えられたり与えられたりするものではないのです。

こんな気づきがあってこそ、この活動を児童養護施設の子どもたちとともに続けていればみんなで日常生活も心豊かに暮らせるようになる気がして、10年以上にわたって続けられたのです。

今回の2週間の滞在は施設運営側にとっては一時的な緊急措置だったかもしれません。でも、少年にとってはもしかしたら一生の心の財産となるかもしれないのです。ちょうど私が思い出した少年時代のように、自分が心底満足できる場所や過ごし方の原型、すなわち「ふるさと」が彼の心のなかに形作られたとしたら!

さとごろりん菅生には、きれいな最新設備や行き届いたサービスなどありません。でもその代わりに、里山ライフの楽しみ方を自ら見出して創り上げていける「余白」があります。そこでは、私たちは日々の疲れや緊張が癒されるだけではなく、生きていることを心から楽しんでいるありのままの自分自身に出会えるのです。

この夏休みは、今のところ3つの児童養護施設から7名で日帰り滞在、11名で2泊、9名で5泊といった利用予約が入っています。これから空いている日を予約でさらに埋めていきたいと思っています。そして、たくさんの子どもたちに、これまでどんなに大変なことがあったとしても前を向いて、今ここで生きることを心から楽しんでいるありのままの自分自身に出会える体験をしてもらえたらと心から願っているのです。

2022年7月15日 東京里山開拓団 代表 堀崎 茂



 

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