児童養護施設の子どもたちとの里山開拓(第1回)

「山の中であそぶとはおもっていなかった」

「ブランコ、ハンモック、木の上の展望台、バーベキューが楽しかった」

「思っていたより楽しかった」


2012年1月に初めて里山に行った児童養護施設の子どもたちの感想には

こんな言葉があふれています。


引率の先生からはこんな言葉もいただきました。

「参加者全員興奮気味に帰ってきました」

「子どもたちが普段見せないイキイキとして輝かしい笑顔をしていました」ーー


土日はゲームにはまっているといういまどきの都会の子どもたち。

林業が成り立たなくなって数十年、荒れ果てたままの里山。


もし両者をつなげることができればきっと双方に価値ある反応が

私たち東京里山開拓団は、起こるに違いないと信じて

地道な活動を続けてきましたので「ほっとした」というのが私の正直な感想です。


どれくらい地道なのかというと、誰も行かない荒れ放題の里山に週末通って

藪を切り拓いて自分の通れる道を作るところからの文字通り「地道」なスタートでした。

単に切り拓くだけでなく出てきた木や石、葉はどうやったら自然の恵みとして活用できるか

自分の頭と体をフルに使って試行錯誤しつつ進めたのです。


通い始めた頃は地元の方から不審者扱いさえされましたが、

友人、知人、家族からの協力がありましたし、

3年前にボランティア団体として活動しはじめてからは

活動主旨に賛同して協力してくれる人たちが徐々に増えてきました。

東京都とセブンイレブン財団からは助成金を交付いただき、

地主からはそんなに好きなら、と里山を譲っていただけることになりました。

もちろん児童養護施設との関係作りもゼロからでした。


思いばかりで実績のなかった私たちの活動に対して

これまで本当に大勢の方々からご期待やご関心そしてご協力をいただきました。

この場をお借りしてご支援いただきました方々に厚くお礼申し上げます。


そして今、改めて考えてみたいことがあります。


何にもないはずの里山なのに、

たくさんの苦労も背負ってきたであろう児童養護施設の子どもたちが

初対面の大人の私たちとともに心から楽しんでくれたのはなぜだろうということです。


育児放棄や虐待などで保護者から離れて施設で暮らす子どもたち。

教育や福祉の専門家でもない普通の社会人として暮らす里山好きの私たち。

本当は、年齢も関心も考え方も感じ方も大きく違うはずです。


それが初めて出会ったその日から意気投合し、

里山とその恵みを心から満喫できたのです。


引率の先生の感想には「よい意味で何もなかった」とありました。

実際、東京里山開拓団が行ったのは荒れた里山を少し開拓して提供しただけです。

強いて言えば、手作りのブランコ、ハンモック、ペンダント、ツリー展望台、畑など

里山とどう関われるかをささやかな見本として示した程度です。


ここには、都会にある当たり前のものーー

ビルもお店も看板も道路も学校も会社も一切ありません。

もちろん、電気もお金も使えません。


ただあるのは、葉を落とした木々とその間を飛び回る小鳥のさえずり、

役割を終えて降り積もった落ち葉と静かに潜む虫たち、

顔に容赦なく吹きつける北風、

すべてに等しく降り注ぐ冬の日差しといった存在です。

そして私たちに感じられるのは、

開拓の心地よい疲れと汗、

自然の恵みを手にして自分の頭で創作していく喜び、

広大な青空とちっぽけな都心を見渡す眺望の開放感、

ほかほかの焼き芋の体に染み渡るような甘みといった実感です。


ここには都市社会からは見えない自然の存在と生きている自分自身への

「気づき」があります。


里山での子どもたちの反応というのは、もしかしたら、

太古の昔から人間が直接関わって生きてきた里山には実は記憶があって

子どもたちの心の奥底にあったつながりを求める意識と

結びついて生まれた奇跡とさえ思えるのです――


里山というのはそれほど特別な場だと思うのです。

そこは、キャンプ場や登山のような単なる都会のストレス発散の場ではありません。

お仕着せの決まりなどなく、誰も彼もが里山についてほぼ平等に素人です。

だからみんながゼロから自分で考えて協力し、

年齢や立場の差を超えて楽しみや達成感を共有できます。


さらに里山と継続的に関わるなら、四季の恵みの楽しみやたくましく生きる生命など

都会で忘れ去られた存在を自分の目で見い出すことができます。


こういったことを大人の私自身も里山開拓を通じて実感してきました。

ですから感性豊かな子どもたちでしたら、なおさら実感できるように思うのです。

これらは学校や家庭では伝えられない本当に大切なことでもあります。


さらに思索を拡げてみます。


ここ数十年で世界の多くの人たちは都市社会の中で暮らすようになりました。

都市社会にひたって暮らしていると、社会というのは、自然と切り離されたところで、

あたかも人間の叡智だけで成立しているかのようです。

でも、本当は自然からの支えがない限り、

社会も経済も暮らしも一切成り立ちません。

(実際ここでは、隣の里山が都市社会のために土砂を削られているのを

目の当たりにできます)


一方で、都市社会の中で人々は急速に自然とのつながりを実感として持てなくなりました。

自然とつながる実感の喪失というのは、

他の存在とのつながりによって生かされている自分自身の存在を忘れてしまうことと思います。

この点にこそ、都市社会の抱える諸問題、

例えば、つながり・やりがい・生きがいの喪失、地域・家庭・学級の崩壊、鬱や自殺の増加、

不正・犯罪の増加、貧富の格差、拝金主義・自己中心主義、環境破壊、大量生産・消費・廃棄

がいつまでたっても解決しない根本原因があるように考えています。

そして忘れてはならないことは、こういった社会のひずみというのは大抵の場合、

都市社会の中で弱い立場の存在において顕著に現わるということです。


都市周辺にある今は荒れ果てしまった里山には、

都市社会の課題や自然と自然の関わり方について自ら振り返ることのできる

またとない学びの場に生まれ変わる可能性があるように感じています。


私たち東京里山開拓団はたった10名の小さなボランティア団体ですが、

これからも児童養護施設の子どもたちとの里山開拓を定期的に継続しつつ、

他の里山でも他の子どもたちとの活動を拡げることで、

試行錯誤しながら自然と人の新たなつながりを生み出せたらと思い描いています。


2012年1月21日

東京里山開拓団代表 堀崎 茂


子どもたちの感想

     

引率の先生の感想

  

 

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