NPO法人 東京里山開拓団

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

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 目指すところ>代表の思い>山稼ぎとは(2009年)


「山稼ぎ」という言葉、聞いたことがありますか。多分聞いたことのある人はほとんどいないのではと思いますが、本開拓団の活動の重要なキーワードと考えています。

「山稼ぎ」とは、「山に入って生活の足しになる自然の恵みを手に入れてくること」です。私がこの言葉を知ったのは、全国を歩き回って日本の文化や風俗、社会の成り立ちを自分の自分の目と耳と足で調べた稀代の民俗学者・宮本常一の本からです。山村で出会った老婆が「おら、山稼ぎが好きで」と語るところが出てきます。

かつては人々は大人も子どもも自然の恵みを求めて山に入りました。その様子は1950年代に山形の小学生の文章を綴った「やまびこ学校」(岩波文庫)にも描かれています。子どもたちが親の稼ぎだけでは苦しい生活を少しでも支えようと、山に入って食べられる野草、木の実を探したり、焚き木を拾ったり、わなをしかけてうさぎや鳥を捕ったりする姿がいきいきと素直に描かれています。

今はどうでしょうか。山に行くといったら、普通、登山やキャンプなどレジャーとして行くことを差すでしょう。また、最近注目されつつある里山も自然と少し触れ合う遊びの場として行くことが多いのではないでしょうか。

ただ、山に行ってみると禁止事項ばかり並んでいます。「決められた道以外立入禁止」「とっていいのは写真だけ」なんて看板があったりします。きのこ取りや山菜取りをする人はいますが地主の了解もとらずやましくこっそりと行われることが多いのではと思います。

昔は自然が豊かだったけど今は自然は貴重だから制限されるのは仕方ないと簡単に片付けられてしまいがちです。確かに都会の人が行く山というのは東京では高尾山などごく一部に集中していてそこでは確かに人の数に対して自然の恵みは貴重であり、自然を維持・保護するために人の関わりを制限する必要があります。

しかし、私自身、八王子の荒れた里山に通うようになってから、制限されるべき自然ばかりがあるのではないということに気付きました。

人々の行く山はごく一部で、誰も行かなくなって久しい山や里山があまりにも多く存在するからです。そこは、関わる人は地主や地元の人も含めてまったくいないままで、今もあふれんばかりの自然の恵みの宝庫です。面積で言えば誰も行かない山や里山の方がはるかに広いでしょう。

そこで試しにいつもなら買って手軽に済ませてしまうものを開拓している里山からの素材で自分で作ってみることにしました。

一番初めに作ったのは「積み木」です。開拓で出てきた間伐材の皮を剥き、輪切りにしてやすりをかけるだけです。素人でも子どもでも誰でも簡単に製作できます。

子どもに渡してみるとずいぶん気に入ったようで、2年経った今も使っています。
・無垢の肌触りと見栄えがいいこと
・不ぞろいだからこそ自分でいろんな形を作り上げられること
・なめてもかじっても落書きしてもぶつけても平気なこと

など市販の積み木にはない良さがたくさんあります。

その後も、「ブランコ」、「手押し車」、「釣りのおもちゃ」「キウイ棚のおうち」などを作ってみました。自画自賛になりますが、どれも世界に一つでどこにも売っていないものであり、自分なりの工夫をしていて市販品以上に満足のいく出来栄えでした。

もちろん、そんな山稼ぎで生活を成り立たせることなど不可能です。今の生活は何でもお金がかかるようになっているので山稼ぎくらいで金銭的に成り立たせるのは困難です。林業や農業を本業とする人でさえ里山の活用は割に合わず進められていない現状があります。

しかし、そこまででなくとも、山稼ぎで生活を直接豊かにすることならできるはずと確信しました。

自分のために作ってもいいですし、お土産として誰かのために作っても、いいでしょう。もちろん作ったものを販売してもいいでしょう。(それはつながりのない人にまで里山の価値を深く伝える手段にもなります)

すでに間伐材から木炭やチップを作るなど経験ある方々を中心としたNPOなどで里山の恵みの様々な活用が各地で行われています。でも、できれば自分たちの創意と工夫でもっと付加価値をつけてずっと手元で大切に活用できるものであったらなおいいのにと思いました。せっかくの自然の恵みですので大切に使いたいですし、見る度に里山とのつながりを思い出させてくれるからです。

山稼ぎの対象は間伐材だけではありません。知恵と工夫次第でどんどん広がっていきます。

土もたくさんあります。土を山稼ぎの対象にしようと思うなら例えばこんな形があります。さつまいもを里山の大地で自然栽培するのです。春に里山に植え付けをした苗は秋までに大きくなります。自然に少しばかり働きかけるだけで自然の大いなる力で大きくなっていくのです。植えたまま野放しになりますが、夏の炎天下でからからに乾いた大地でもたくましく生きる命には目を見張るばかりです。

落ち葉だって工夫次第で山稼ぎの対象にすることが出来ます。囲いを作って落ち葉を積んで腐葉土をたくさん作ります。そこへカブトムシやクワガタムシの産卵を促して翌年の夏までに養殖するのです。準備段階から子どもたちの喜ぶ顔が目に浮かびます。

雨でさえ山稼ぎの対象になります。水タンクで貯めておくのです。八王子の里山なら十分飲めるはずとも聞いていますので体を心底温めてくれる天水コーヒーでも作ってみんなで飲んでみたいものです。

ここまで読んでいただいた方の中には、市販で手軽に購入できてしまうものばかりなのになんでわざわざ山に上って手間と時間をかけてやる必要があるのかと思われたかもしれません。

自分で自然からの恵みを得て活用してみると普段の生活の中では感じられなかった達成感が感じられます。さらに自然とのつながりを自分で直接感じる大切な経験が得られます。

普段都会で暮らしていると、スーパーで売っているさつまいもは普通「お金を出して買う商品」と目に映るでしょう。でもそれが「生きもの」としてとらえられるでしょうか。都会社会ではお金さえ出せば、自分の命が他の命の上に成り立っているなんて残酷なことは考えずにすむルールになっています。

試しに、買ってきたいもの切れ端をベランダのプランターに植えてみます。しばらくして小さな芽が出てきたとき、はじめてそれが「生きもの」であったことを実感します。さらにそれを里山に植えつけてみると、ベランダでは土を買ってきて水遣りを忘れずにしないと育たなかったものが、里山では太陽の光と土と肥料と水がふんだんに供給され大いなる自然の力でほとんど人間の力はなにもかけずとも育っていきます。多くはサルやイノシシに持って行かれることでしょうが、やがてさつまいもを収穫して、焚き木で焼き芋にして食べてみます。自分が生きるということはは他の生きものに支えられているという当たり前で意識もしなくなったけれど大切なことに改めて気付かされます。

現代版山稼ぎの一番の意義というのは自然との直接の関わりを取り戻すことで、現代にあっても自分自身は自然の恵みに生かされていることを改めて感じ、自然の恵みに感謝したりよりたくましく生きる力を得たりできる点にあります。

残念なことに、このことは今時の家庭や学校や社会ではうまく伝えられなくなっていることです。キレる子、不登校、うつ、自殺など人々の精神を蝕む現代社会の病は増加の一途をたどっていますが、ここに原因の根源があるのではとさえ感じます。

本開拓団では、特に里山開拓を通じて出てくる里山の資源ひとつひとつを自然からの大切な恵みととらえ、参加する会員や子どもたちがそれぞれの知恵と工夫をもって自分の手で直接働きかけて自分や周りの人たちの生活を豊かにする現代版の「山稼ぎ」を行っていきたい、できれば開拓団の活動資金自体も、自らこの現代版山稼ぎで捻出していきたいと考えています。

NPO法人 東京里山開拓団
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