NPO法人 東京里山開拓団

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

     

東京の荒れた山林を児童養護施設の子どもたちとともに開拓し自然の恵みを活用するボランティア団体です

目指すところイメージ

 目指すところ>代表の思い>高校生との里山開拓開始!(2021年12月)


児童養護施設の高校生による里山開拓


2021年12月4日、当団体にとっては4件目となる児童養護施設(東京家庭学校)との里山開拓がはじまりました。ただ、これまでの3施設とは大きく異なるところがありました。東京家庭学校からは、施設に暮らす高校生に額に汗するボランティアを体験させたい、できればすでに開拓して居心地がよくなっている里山ではなくて、荒れた山林の開拓を一から進めたいという要望をいただいていたのです。

そんな思いの背景として職員の方からはこう伺いました。「子どもたちは施設で暮らす限りはたくさんの支援に恵まれていますが、高校を卒業し退所したら即支援もなくなり自立を迫られてしまいます。だから今のうちに、厳しい環境を自ら乗り越えていく体験をさせてあげたいのです」

実は、東京家庭学校とのご縁は2019年にさかのぼります。施設長が講師を務められた子どもの貧困に関する研修に私が受講生として参加したのです。そこで当団体の活動をご紹介したときから施設長の上記の強い思いを伺っていました。

でも、当方ではそんな思いに応えられずにいました。荒れた山林を確保する目途が立たなかったのです。荒れた山林は全国にたくさんあるのですが、不在地主化が進み相続登記が放棄されるような現状では地主を割り出して話をするに至るまでが高い高いハードルとなっていてなかなかたどり着けないのです。都心から通いやすいところとなると、なおさら限られてしまいます。

あわせて正直にいうと、施設側の意向へのためらいもありました。これまで3施設との里山開拓を開始するにあたっては、危険も伴う広場や道の初期整備や周辺の安全確認は会員だけで行っていました。しかし今回はそんな準備段階から参加したいと言われて、初めてのこぎりを持つような子どもたちが安全に作業を実施できるのか、何よりこんな地味な作業に本人が価値を感じてボランティア参加してくれるのかと不安も感じていたのです。

しかし今年になってようやく、あきる野市菅生に手の入っていないところもある山林を当団体で活用できることになりました。丁度そこへ改めて東京家庭学校より高校生にボランティア体験をさせたいとの声がけもいただき、職員の方々と具体的に意見交換させていただく中で、どこか機が熟してきたのを感じました。楽しいことも、やりたいことも、将来への悩みや不安も、たくさん抱える今どきの高校生が、荒れた山林の現状をどう受け止めてくれるのか、私たちもぜひ一緒にチャレンジしたいと思い直したのです。

開拓当日はやや寒くなってきましたが、よく晴れて無風の心地よい開拓日和となりました。8時45分現地集合の予定通りに全員がそろい、まずは自己紹介と本日の予定説明をしました。そして早速里山に入っていきます。

しばらくは歩きやすく保全された山道が続きますが、10分ほど歩いたところで今年から私たちの伐り拓きはじめた尾根道に入っていきます。急な斜面をしばらく登ったところに、オオタカ広場と私たちが名付けた場所があります。まずここで里山開拓の進め方の説明と練習を行います。

具体的にいうと、私からのこぎりの使い方や木の伐り方の注意点を説明しました。初めての人は自分の片手でつかめる太さの木から作業を進め徐々に太い木を伐るようにすること、のこぎりは伐り倒そうとする反対側を切り進めることで刃を挟まれて抜けなくなることを防ぐこと、どちらに倒れるか、周りに人がいないかよく確認し声を掛け合いながら伐り倒すことなどがポイントです。また、伐り倒した木がどうしたら活用できるか自分の頭で考えるようにも伝えました。

開拓作業を自ら少し試してもらった上で、タヌキ広場と呼んでい場所に移動し、いよいよ本番の荒れた山林の開拓にチャレンジとなりました。通るのが精一杯の尾根道の両脇を伐り拓いて、活動できる場所を拡げ、風通しや日当たりをよくしていくのです。



多分、会員も含めて参加した全員にとって想像以上にがっつりとしたタフな開拓作業だったと思います。昼食のお弁当を食べながら少し休憩しましたが、9時過ぎから13時半ごろまでみなさんずっと熱中して作業を進めてくれました。なかには、伐り倒した木を組んだベンチや薮を屋根にした隠れ家を自ら考えて作ってくれた人もいました。

作業を終えて下山し、14時頃に空き家を里山付き別荘として改修した「さとごろりん」に移動しました。そして、施設案内やおやつ休憩の後、みんなで本日の活動について意見交換をしました。

高校生は一人ずつみんなの前でしっかりとこんな感想を伝えてくれました(以下はアンケートより抜粋)。

・想像以上に楽しかったです。いつもの生活のなかで木を伐採することはないのですごくいい経験になりました。次はこの木を使って何かを作ってみたいです。

・本格的に木を伐って、広場を拡げていくことができて、本当に楽しかったです。またここに来たいです。

・タヌキのマンションや色々な物が発見できたり、木の伐り方や開拓の仕方、自然の中で自分がどんなことをできるのか考えたり、他のみなさんと力を合わせたりしながら、里山開拓に取り組めて良かったです。

・山の中の作業なので、はじめは乗り気ではなかったけれどやっていくうちに楽しくなりました。のこぎりの使い方も最初は上手にできなくて苦戦していたけれど、最後は一人で大きな木を伐ることができました。

・最初山を登った時はとても疲れたけれど、今回の作業を通して木を切るのが楽しく、段々慣れてきて達成感も感じられてきて、自然の力ってすごいなと思いました。


私たちが高校生に伝えられること

私は家に帰りついて初めての試みを無事終えられたことに心からほっとしつつ、この2か月ほどの準備を思い出していました。実は、私たちは里山開拓を通じて、児童養護施設の高校生にどんなことが伝えられるのだろうか、とずっといろんな思いを巡らせていたのです。

額に汗する作業の達成感?荒れた山林の現状?自然の心地よさ?自然の恵みの価値?自然の大切さ?ボランティアの意義?

いったいそれは高校生の人生にとってどんな意味があるのだろう?

正直言うと、私たちにそんなことを語る資格があるのかなとも自問しました。ただ大変な現状を知る体験、大変な作業をする体験をというなら、たぶん児童養護施設の高校生の方がよほど先生なのですから。

あれこれ考えるなかで、私たち会員がどんな価値を感じて参加しているのか改めてアンケートをとることもやってみました。その集約結果を感じている価値としてうまく共有できたらと思う一方で、押しつけに感じられてもいけないのでどう結果を伝えようかなとまた考え続けます。

そして、一か月前には事前に高校生と職員のみなさん向けのオンライン説明会も行うことにしました。きっと現場だけでもたくさんのことを感じてくれるとは思いますが、今置かれている荒れた山林の背景や活用の可能性、思い描いている里山の理想の姿とそこに向けた私たちの思いなど現場からは感じにくいところも事前に伝えておきたかったからです。

いや、もっと本音で言うと、現場にいきなり行った時の反応が怖かったからかもしれません。高校生のみなさんに大した価値を感じてもらえなかったとしたら、それは私たちの活動の存在意義を大きく揺るがすからです。私たちには、10年にわたって児童養護施設との里山開拓に取り組んできた経験から、ある程度手を入れた里山なら高校生からはポジティブな反応はあるはずという自信はありました。でも、未開拓の荒れた山林となると、その日の天気や進め方、現地の印象、参加者の構成や相性などによって正反対な受け止め方も考えられます。というより、むしろ多くの人はネガティブな反応を示すはずです。だって、何十年も誰も行こうなんて考えもしなかった所に初めて会う知らない人たちと分け入っていこうというのですから!

さらに考え抜いた末に、私は説明会の最後にこんな話もすることにしました。私も昔会社の先輩から聞いた話なのでもしかしたらご存知の方もいたかもしれません。



3人の男が城壁を作っていました。そこに王様が視察にやってきました。

一人目の男に王様は「お前はどうして城壁を作っているんだ?」と尋ねました。

すると一人目の男はこう答えました。「私は奴隷です。城壁を作らされているのです」

二人目の男にも王様は同じように尋ねました。

すると男はこう答えました。「私は生活が苦しいので、城壁づくりの仕事でお金を稼がないといけないのです」

三人目の男にも王様は同じように尋ねたところ、男はこう答えたのです。

「私はここにずっと暮らしています。愛する家族と祖国を立派な城壁を作って守りたいのです」

後で王様が完成した城壁を確認しました。

3人の中で一番丈夫に出来上がっていたのは、もちろん三人目の男が作ったところでした――。

私がこの話を取り上げたのは、何を体験するか以上に、自分がどんな思いで関わるかがその体験の価値を決めてしまうということに気付いてほしかったからです。仕事でも生活でもどんなことでもそうですが、自分がやらされているのか、やらねばならないのか、やりたいのかで、結果は全く異なってくるのです。そんな心構えを準備したうえで、あとは現場で試行錯誤して自らの頭で考えて五感で感じ取ってほしかったのです。


人生の開拓者であれ

東京家庭学校の高校生との初めての里山開拓を終えられて、私は、いま改めてこんなことを考えています。

いったい人生の苦難を乗り越えていくために必要なのはどんな力なのでしょうか。

人それぞれ、どんな人生を歩んできたかによっていろんな意見のあるところと思いますが、私が一番大切と考えているのは「試行錯誤する力」です。これは心豊かな暮らしや社会のあり方を求めて、たくさん回り道をしながら、時に自分で道を伐り拓いて、50まで人生を歩むなかで強く感じていることです。

試行錯誤、と一言で言いますが、多くの人は試行錯誤なんかしようとしません。特に現代都市社会で暮らす人は、面倒、大変そう、意味がない、時間の無駄、他にやるべきことがある、もっと手軽なやり方があるはず、とやる前からいろんな理屈を考えて、自ら試行錯誤することを避けようとするのです。たまに試行する人がいても、うまく行かないとすぐ誰か近道を教えてくれと他人にすがろうとします。

でも、そういった生き方というのは一見スマートに見えて、私から言わせるなら一番おいしい部分を自ら捨ててしまっているようなものです。どうしてかって?それは自ら試行錯誤することによって初めて見えてくるもの、生まれてくることがあるからです。それは何かというと、見えてくるのは「本当の自分」、生まれてくるのは「周りとのご縁」です。

本気になって試行錯誤してみるから、自分にできることやできないこと、やりたいことややりたくないことが分かってきて、「本当の自分」が見えてくるのです。そして、本気になって試行錯誤しもがいているからこそ、周りの存在とのつながりが見えてきて、周りも私に関わろうとしてくれて、「周りとのご縁」が生まれてくるのです。

ただひたすら自ら試行錯誤をし続けるのは簡単なことではありません。でも、目を背けたくなるような苦難の現状も、思い込みを捨ててしっかり自分の目で直接見るようにします。すると、苦難のなかにもかすかな希望や喜び、可能性は見出せるようになることがあります。そこが見えてくれば、周りの協力も得て困難を乗り越える糸口になります。

誰にとっても、人生にはたくさんの試練や困難が待ち構えています。受験、恋愛、就職、仕事、結婚、離婚、育児、破産、病気、怪我、事故、災害、離別、死別、介護、そして死・・・

一方で世の中には、ネットをはじめお手軽な「マニュアル」があふれています。でも、他の人がうまくやったからといって、自分も同じようにやればうまくいく訳ではありません。もしかしたらマニュアル通りにやればすべてうまくいくように信じさせることでひと儲けしようとする人のたくらみが背後にあるかもしれません(例えば、多くの教育制度や資格制度にそんな罠が仕組まれているように私には見えます)。

マニュアルに頼るなと言えるのは失敗の怖さを知らないからだ、それができるのは強い人だけだよねなんて思うかもしれませんが、マニュアルが人生を保証するようには到底思えない世の中になってきていることは、多くの人が納得するところでもあります。

では、どうすればいいのでしょうか。私には強くお勧めしたいことがあります。ボランティアに参加してみることです。理由は、人生の困難を自ら乗り越えていくためのいい訓練になるからです。

偏りを承知の上で私の経験からお話しするなら、ボランティアとは単なる無償の労務提供ではありません。誰かに褒めてもらうための奉仕でもありません。社会課題の克服に向けた自発的で自主的な活動です。他にもいろいろとやりたいこと、やらなければならないことがある中でボランティアを行うには、よほど自らの問題意識と価値観をしっかりと持っている必要があるのです。そうでないと続きませんから。私は、誰も読みそうもない当団体サイトの片隅に「代表の思い」を膨大な時間をかけてずっと書き続けているのですが、それは誰かに読んでもらうためというよりは、自らの問題意識と価値観をしっかりと自分の心に刻むためなのです。

それから、知識とか学歴とか肩書とかお金とか人脈とか、これまで自分が重要だと思って積み上げてきたものが、社会課題の解決のためにはほぼ役に立たないことにも気づかされます。もし社会の価値観に合わせるために培ってきた力ですぐ社会課題が解決できるようなら、そもそも社会課題が長年未解決のまま取り残されているはずがないからです。

社会課題というのはあまりにも大きな山のように見えて、ちっぽけな自分にできることなどあるはずがないとさえ感じます。しかも、いろんな試みが初めからうまく行くようなことはまずなくて、大抵は失敗の連続となります。辞める理由はいくらでも思い浮かびます。

それでも試行錯誤を繰り返すうちに、そこに目の前にあったのに見えていなかった大切なことに気づかされるのです。私の場合、それは荒れた山林自体がもっていたチカラ、児童養護施設の子どもたち自身の持っていたチカラでした。

誰かからそうきけばなんとなくそう思えるかもしれませんが、実際には自分の見方というのは長年の人生経験の中で凝り固まってしまっているので、そう簡単に本気で思えるところには至りません。自らじっくりと試行錯誤するからこそ、本気でそう考えている「本当の自分」に出会えるのです。

そして試行錯誤を繰り返すことによって生まれてくるもう一つ大切なこと、それが「周りとのご縁」です。私の場合はこんなことです。

何十件も児童養護施設につながりを求めて働きかけることで、本当に共感いただける施設の方とのご縁が生まれました。

何百回も里山開拓をし続けることで、自然の恵みや子どもたちとの本物のご縁も生まれました。

何度も何度も自分たちが目指しているところを考え続けることによって、共感いただける方々とのご縁が拡がりました。

これらは試行錯誤がなければ決して得られなかった「ご縁」です。


今回参加した高校生のみなさん、もし読んでくれていたらぜひお伝えしたいことがあります。

みなさんが荒れた山林の開拓に楽しさやよろこびを見出してくれたことは、本当はものすごいことなのです。だって、そこは普段物知り顔をしている数えきれないの大人たちが何十年間も価値を見出すことができず、汚い、怖い、面倒といって関わりを避けて放置してきたところなのですから。そんなところであっても、みなさんは楽しさや喜びを見出すことができたのです。

当団体では「よりたくましく、よりすこやかに」という運営方針を掲げています。絵本作家の故かこさとしさんにいただいたこのメッセージを私はこう受け止めています。

よりたくましく、よりすこやかな、人生の開拓者であれ」。

私に言わせれば、開拓者とは、到底乗り越えられそうにない苦難に直面しても、そこにかすかな希望と喜びそして可能性を自ら見出し、自ら仲間とともに試行錯誤を続けることによって乗り越えていく人のことです。

そう、みなさんがここで感じた楽しさや喜びというのは、開拓者の精神そのものなのです。そしてそんな人こそが荒れた山林という社会課題を解決してくれるのです。ここに楽しさや喜びを感じて通い続けられる人こそが、里山を保全し続ける原動力になるのですから。

「これを知る者はこれを好む者にしかず、これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」という孔子の言葉はご存知でしょうか。里山を当てはめるなら、里山を知っているよという人もそれが好きな人には勝てない、里山を好きだよという人もそれを楽しめる人には勝てないという意味です。

私たちはもうすでにみなさんのことを里山開拓を楽しむことのできる仲間と思っています。そしてもしよかったら、施設にいる間も、退所してからも、里山開拓を一緒に楽しみながら続けてくれたらとひそかに心待ちにしているのです!


2021年12月21日 東京里山開拓団 代表 堀崎 茂



 

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